の歴史

駒鳥山荘は東京都青梅市御岳山(みたけさん、御嶽山とも書きます)にある宿坊です。
江戸時代くらいから営業をはじまして今日に至っています。・・・が(笑)、江戸時代以前の本当のところはもう判りません。江戸末期から明治初頭の記録が御岳山全体にあまり残っていません。私は神仏分離(神様と仏様を分けようとする政策)に伴う廃仏毀釈(仏様を壊したり捨てたり燃したりして神様の国にしようとした運動)の為に記録が失われたのではないかと考えています。昔御岳山に住み着いた数人の人間がいました。(以前は自分の家がどこが古いかを自慢したようです)その中の1人の家が駒鳥山荘の前身だとも言いますが本当のところは判りません。

御岳山には御師(おし)という神職がいます。駒鳥山荘の主人である私も御師の1人です。御師とは宿坊を経営する神主です。御岳山には34人の御師が今でもいます。御師の委員会で御岳神社を運営しています。御師は普段は宿坊の経営をしたりサラリーマンになって職場に通っています。お祭りの時には神社で働きます。

いまでも日本中に御師が残っています。正式には明治になると国家の政策で御師は廃止されました。三重県の伊勢神宮の内宮の前に大きなおみやげ物屋さんがいっぱいあります。あれは以前御師をしていた人がおみやげ物屋さんになったのです。神奈川県に大山(おおやま)があります。そこにも御師の宿坊が今でもたくさんあります。山梨県の富士吉田市にも沢山の御師の坊があります。今はまだ活動しているか判りませんが大きな家と「御師何々」と看板がでています。長野県の戸隠にも沢山の御師がいます。とても大きな坊を持っています。

江戸時代には盛んに活動していました。

私共の門です。長屋門といいます。江戸時代の参拝案内に「赤門の宿坊の御師」と書かれています。注連縄が張ってあり神様のすみかとして普通の場所と区別しています。

さて駒鳥山荘ですが昭和30年代に「駒鳥山荘」と名前を改め一般の観光の皆さんをお世話させていただくようになりました。それ以前は「西馬場(にしばば)」とよばれる宿坊でした。いまでも近所の人は「西!」とか「西馬場!」とか呼びます。ですから私は「駒鳥さん」「馬場さん」「西さん」「西馬場さん」と呼ばれています。よく「たくさん名前があって大変ですねえ」と言われますが慣れているのでなんでもないですね。

駒鳥(こまどり)は名前のとおり馬(駒)に似た声で鳴きます。「ヒン、カラカラカラ」。御岳山では5月の下旬から6月に掛けてやってきます。2週間ほどで移っていってしまいます。おおるりと間違える人がいます。

駒鳥山荘という名前は日本野鳥の会を作った中西悟堂先生がいい名前を付けようと考えてくださいました。中西先生がいらした昭和30年代にはコノハズク(ブッポウソウ)が良く鳴きました。一時聞こえませんでしたが最近また良く鳴くようになりました。わたりの途中で1週間ほど聞くことが出来ます。マニアにはたまらないです。

現代の駒鳥山荘は家族連れ、研修会、移動教室、新年会や結婚式(!)
などいろいろな方がみえます。あっ外国からのお客さんも多いです。

もどる